愛媛県大洲市で起こる霧の自然現象“肱川あらし”を題材にしたニューシングル「肱川あらし」。長年の夢だった船村徹に作曲を依頼し、これまで伍代夏子とのコラボではドラマチック歌謡の世界を作り上げてきた喜多條忠が作詞を担当。2017年第1弾、待望の船村メロディが奏でる新曲への想いを語ってもらった――。
Profile
1987年に「戻り川」でデビュー。1990年に「忍ぶ雨」が大ヒットし、演歌のトップスターの仲間入りを果たす。同年に『紅白歌合戦』に初出場。夫である杉良太郎とおしどり夫婦としても知られ、共に福祉活動にも注力している。2017年2月19日に『伍代夏子オンステージ』を白河文化交流館コミネスで、2017年3月からは門真市をはじめ全国各地で『伍代夏子演歌まつり』が開催される。
伍代夏子(以下、伍代)「はい。『みだれ髪』『矢切の渡し』『さだめ川』などの船村作品が大好きで、コンサートでもよく歌わせていただいてきました。私にあてたメロディをいつか書いていただきたいとずっと思っていましたが、新しいチャレンジをするのは冒険でもありますし、いい時期を見計らって……などと考えていたらどんどんと先送りになってしまって。ある時、主人(杉良太郎)にその話をしたら『だったら直接電話したらいいじゃないか』と。さすがにそれは失礼かなと思ったのですが、しびれを切らした主人が先生に電話をしてしまったんです(笑)」
伍代「先生にお電話した頃、ちょうど主人と同様に心臓の弁を取り替える手術を控えていらっしゃいましたが、にもかかわらず快諾くださいました。まずは親交を深めようとお食事会を開いてくださったので、私から『先生、ズシンとくる船村メロディをください』と改めてお願いしました」
伍代「だったらいいのですが。先生に曲を書いていただきたい人はたくさんいますからありがたいです。ただ、自分で言うのもおこがましいですが、船村先生の書かれるどっしりとしたメロディを歌うのは得意だと自負しています。マイナー調のあの世界観を歌うために演歌歌手になったとすら思ってやってきたところがあるんですよ。ですから『肱川あらし』のメロディをいただいた時は嬉しかったですし、さすがだなという一言に尽きました」
伍代「愛媛県大洲市の肱川で見られるもので、初冬の朝に霧が川を下る幻想的な現象です。実は初めて歌詞をいただいた時は、『肱川』がどこにある川なのかも知りませんでした。喜多條先生はわざわざ当地に泊まり込んで作詞してくださったそうです。以前、書いていただいた『霧笛橋』も霧の中に赤い橋が登場しますし、喜多條先生にとって訴えかけてくる風景なのかもしれませんね」
伍代「そうですね。辛い経験をしてきた男女が出逢った。でも会ってはいけない2人だから、ともに手を携えて生きて行こうと決めたけれど、(周囲からは)後ろ指を指されてしまう。だから逢瀬は霧に隠れるようにして逢うわけです。1行目の“非の打ちどころのない人なんていませんよ”という言葉はとても強いですよね。もう死んでもいいとすら思っていた男女が巡り会い、また相手のために生きてみようと思う……。出だしから強い感情がこもっていて、難易度の高い歌だなと感じました」
伍代「道ならぬ恋ですからそれを聴いてくださる方に共感していただける歌にするのに腐心しました。ただ、この女性は本当に辛い思いをたくさんしてきたんだろうなと思ったし、そんなところに思いをはせて歌い出してみたら共感していただけるのではと考えながら歌い始めました」
伍代「歌詞に合わせて強弱や息の分量などを変えていきます。歌詞の内容によってメロディを長くしたり短く切ったりすることもありますが、それによって歌がよりよくなるのであれば、それをとがめる作曲家の先生はまずいらっしゃいません。“涙の川ならいくつも越えてきましたよ”や“こころが石に変わったこともありました”は、誰も信じられないくらい苦しい経験をしたことが分かりますが、自分の生い立ちを説明する場所ですからあえて感情をあまり込めずに歌います。逆に、“世間に顔向け出来ない恋でいいですよ”は、人が何と言おうと関係ないと言い切ってるわけですから一番強い部分ですね」
伍代「レコーディングには船村先生は体調のためにお越しいただけませんでしたが、普段はご指導いただくことが多いです。喜多條先生をはじめ作詞の先生に多いのが、『青じゃなく紫に歌って』といった抽象的なアドバイス(笑)。『朝の感じで』と言われたら、清々しい朝の気持ちになったり徹夜明けの気分に浸ったりといろいろと歌ってみるようにしています」
伍代「新曲をいただくたびに思うんですが、歌っていると凄く上手に歌える時期が来るんです。考えなくても滑らかに歌えるように喉がその歌に合わせた形になるんですね。でもそれを過ぎると不思議なほど下手になる(笑)。昨日までコロコロとこぶしが回ってたのに突然できなくなったり。ですが、1年歌い続けてさらに持ち歌として歌い続けると、また自分の歌になっていくんです。歌って面白いものですね」
伍代「ええ。デビュー曲は何百回、何千回と歌ってきましたが、人生最高の出来と思う日もあれば二度と歌いたくない日もある。体調などもあるでしょうが、やはり気持ちの面が大きく影響していると感じます。歌って、取り繕って歌っても聴き手にはそれが必ず伝わってしまうんですよ。どこかにリアルがなければだめなんです。だからと言って全て経験しなけらばならないわけでもない。例えば、『風待ち湊』は足に枷をつけられて夜のお仕事をする女性になって歌いました。実際にはそれを経験できませんが、そこに真実が入るように常に人として成長していかなければならないなと思いながら毎日を過ごしています」
伍代「そうかもしれません。だからこそ聴いてくださる方が元気になったり、前に一歩進もうと思ってくださることに繋がるのかなと。人の痛みや辛さ、優しさ、憂いなどを少しでも分かることができるような人、どうすればなれるか分からないけれど、そうなれるように心が大人になれるよう日々努めるしかないですね」
伍代「歌詞の主人公の心情になりきるのは少し難しいですが、どん底だった二人がひっそりと生きて行こうと決めた思いを想像していただけたらなと。少しでも理解すると歌に深みが出ますから。テクニック的には”行って、抑えて”を繰り返す感じです。“非の打ちどころのない人なんて”を強く感情を込めて歌ったら、続く“いませんよ”は優しく抑えめに歌います。“こころに傷のない人なんて”も同じで、“いませんよ”は柔らかく。強く、優しくがはっきりした曲ですし、歌詞を読まれて自分がここは優しく歌おうと思う場所が人によって違ってもいいと思いますから、まずは気持ちの優しさを持っていろいろと試しながら歌ってみてください。最後の『肱川あらし』は、“肱川”で強く歌ったら一呼吸入れて“あらし”はため息をつくような感覚でそっと歌うと雰囲気が出ますね」
伍代「“川を流れる霧あらし”は字余りだったり譜割が難しい箇所なので……、頑張って練習してください!長く伸ばせるパートでこぶしを回す場合は、細かく点を置いていくような感覚で歌うと回せるようになると思います。でも無理に回さなくても、音符通りに素直に歌ってもいいと思いますよ」
伍代「2016年は激動の1年でした。その前年に30周年があり主人の入院などもありましたので、忙しくしながらも誰かのことを心配してばかりでした。私自身はいたって元気。せっかちなのでエステに行って横になってるとだんだんソワソワしてくるほど(笑)。きっと2017年も、せわしなく動き回っていることでしょう。熊本などでも歌わせていただいたように、引き続きチャリティーにも力を入れていきたいです」
伍代「これはもう15年間くらい言い続けてることですが…、小さなライヴハウスで歌いたいですね。20周年の時だったと思いますが、『5夜連続でライヴハウスに出たい。1夜目は演歌、2夜目はシャンソンといったふうにできませんか?』と言ったことがあるんです。その時は実現できず、以来ずっと言い続けてるというわけです(笑)。毎年恒例のファンの集いをやってみるのもいいかもしれませんよね。ライヴハウスでお酒を飲みながらファンの方と一緒にできたら凄く大人な空間になって楽しそうだなと思うんですよ」
楽曲提供を熱望していた作曲家の船村徹が手がけた初のシングル曲。冬の初めに起こる肱川あらしという霧に包まれる幻想的な自然現象を題材に、苦難の道を歩んできた男女が出会い、偲ぶ逢瀬を肱川あらしの霧が包んでくれると歌う。周囲に祝福されなくとも共に生きて行こうという決意のほどを、重厚なメロディに乗せて情感たっぷりに歌い上げる。
ソニー・ミュージックダイレクト
[1/25発売]楽曲タイトル | 歌詞 | マイうた |
---|---|---|
肱川(ひじかわ)あらし ※先行配信 | マイうた |